「石神井」と「ミジャグジ」

石神井」というと、練馬区や杉並区、中野区あたりに住む人ならば非常に馴染み深い、読めて当然の地名であるが、良く良く考えてみると難読地名の一つである。
「シャクジイ」と読むわけだが、「ジイ」はそう発音するのも分からなくはない。しかし何故「石」を「シャク」と発音するのか。実はこの「シャク」は所謂呉音読みである。
呉音とは、奈良時代に遣隋使や留学僧が長安から漢音を学び持ち帰る以前にすでに日本に定着していた漢字音の事を言う、らしい(wikipedia)。つまり、その歴史は相当古い訳だ。しかし、「石神井」の言葉が実際に文献に登場し始めるのは1400年以降だ。練馬区ホームページには

むかし村人が井戸を掘っていたところ、石棒が出てきた。石棒には奇端(きずい=めでたいことの前兆として現れた不思議な現象)があって、村人たちは、それを霊石と崇め、石神様として祭った。通称石神神社、今の石神井神社の始まりである。いつか、村の名もそれにちなんで石神井と呼ぶようになった。

とある。石棒が見つかったのは太古の昔という訳ではなさそうだ。
では何故、時代が下ってから「シャクジイ」という呉音読みの地名が定着したのだろうか?

その理由の一つは、練馬区とは遠く離れた諏訪の地の土着神たる洩矢神「ミジャグジ神」にあると考えられる。「ミジャグジ」の漢字表記は百数十種類も存在すると言われ、その元々の表記は未だに判明していない。しかし、ミジャグジ神の真の御神体は諏訪の遺跡に祀られている「石棒」であるというのは、かなり有名な話である。石神井の地で石棒が出土した話と通じるではないだろうか。石棒信仰が登場したのは縄文中期、およそ4000年前の事とされている。

要するに、大昔に建御名方神大和朝廷が諏訪の地を征服した時、その地に住んでいた土着民は被征服民となり、その一部はさらなる僻地、つまり関東平野へと逃げていったのだ。そしてそのまま住み着き、石棒信仰を復活させた。その結果が、武蔵野台地で石棒が出土し、「石神井」という地名が付けられる由縁となったのだろう。

石棒は主に"男根"を意味すると言われているが、"蛇"を意味するとも示唆される。諏訪の遺跡では石棒以外にも、蛇を頭に巻きつけた土偶なども出土しているらしい。洩矢神「ミジャグジ様」が元々は蛇の姿をしていたというのは間違いなさそうだ。では何故現在その蛇の姿は建御名方神に奪われ、ミジャグジ神は蛙の姿に準じているのか?次はその辺りを考えたい。