-

『もし万人が高度な教育を受けたいと願うのならば、学校や大学での日々の課業が、彼らの最終目標に対して何故存在するのか。またどのような関係があるのかを彼らが理解する事は避けられない事であろう。』大半の人間が企業就職をする時代である。「就職に強い大学!超優良企業に特化!」という謳い文句を掲げた大学も増えている。▼しかし、その最終目標が一流企業への就職であったとして、それなら何故彼らはサラリーマンの仕事とは無縁の学問を履修しようとするのだろうか?経済学・経営学を学んでいるなら兎も角、文学や物理学・生物学etc etcの学問を就職後に活かすのは難しいだろう。では何故わざわざ大学に進学してまで、さらには4年も時間をかけてまで、その就職に"無駄な"学問をするのだろうか?その間経営学や資格の勉強をした方がマシではないだろうか?教養のため?いや所詮教養は無駄なものだ。教養だけで飯は食えないのだから。▼この考えは高等教育にも及ぶ。何故最終目標が就職であるのに、わざわざ"無駄な"古典や史学、多くの理系科目を勉強するのか?当たり前となっている事柄でも、良く良く考えてみなければならないモノなのだ。