節分の鬼

全国的に節分の日である。

テレビニュースでも色々な地域での節分行事が放映され、子供達が楽しげに豆まきをする様子が映っていた。

それと同時に鬼、世間一般のイメージの「全身が赤や青で角が生えており、服装は腹巻一つ。金棒を持っているが豆に弱い」という姿の鬼も多く映っていた。
こういった世間のイメージする"コメディとしての鬼"は何時頃からの物なのだろうか?
恐らくこういったコミカルな鬼の初出は宇治拾遺物語の『瘤取り』だろう。所謂『こぶとりじいさん』のお話である。
宇治拾遺物語は13世紀初頭の説話集とされるから、大体それぐらいの時期には既に鬼の威厳は失われ、お伽話の住人と化していったのだろう(その代わりに天狗が威光を現し始めるが…)。因みに節分の豆撒きの風習は室町時代以降であると言われる。

宇治拾遺物語よりも以前、平安王朝に於いて"鬼"というのは最悪の災いであり、人間の最も恐れ(畏れ)、忌み嫌われる物であったはずだ。
大江山酒呑童子羅生門の茨城童子源頼光渡辺綱ら人間の英雄と盛大に渡り合い、頼光らが崇拝される分だけ一層恐れられる"悪"だった。(あくまでも"悪役"では無かった)

それが今となっては炒り豆に追われ、柊の葉を恐れ、鰯の頭を嫌う滑稽な作り話の象徴へと変貌している。
既にこういった鬼は化石に等しい存在へと成り代わってしまったのだ。

現代人として生き、節分という行事を毎年行う以上、私達は化石化されたコメディとしての鬼だけでは無く、その本質たる恐るべき最悪の鬼達にも、せめて幻想の存在であるという認識の上であっても、眼を向けてやるべきではないだろうか?

それがせめてもの供養であるように思えるのだ。