中学受験と高等教育

中学受験のシーズンがそろそろ終わりを迎えようとしている。
年々中学受験者数は減少する傾向にあるらしいが、合格に歓喜し、不合格に涙を飲む小学生が居る事にはなんら変わりはない。
自分も数年前はそういう経験をしたものだ。

近年、中学受験をさせたがる親の中に「中学・高校は所詮良い大学に入るための過程に過ぎない」という考えを持つ人達が、圧倒的多数を占め始めている気がしてならない。

私立高校と予備校が提携し、所謂「スパルタ式」で大学受験のための知識を詰め込ませ、東京大学への合格者数を増やす。また親も合格者数のみを気にして進学先を決める。
はっきり言ってそんな高等教育には何の価値も無い。

高等教育、取り分け私立高校のものは東大に入るための勉強では断じてない。あれは世界に雄飛する人物として相応しい"慧眼"を養成するためのものであり、そうあるべきだ。

「スパルタ式教育」なんてものは所詮人間としての視野を狭める物でしかない。如何に知識・教養を詰め込もうと、本質を見抜く技量が無ければ何の意味もないのだ。
事実、東京大学の優秀な学生ばかり採用した任天堂は没落し始めているし、政界でも東大生は失敗する傾向が強い。どうにも頭がカタすぎるのだ。

「スパルタ式教育」は、本来真に優秀であるはずの人間を駄目にしてしまうモノでしかない。


親達の間で「スパルタ式教育」がウケる根本的事情には、「大学ですら"良い就職"のための過程でしかない」という考えがあるからだと思われる。
この様な考え方は他の先進国では一切見られない、明らかに異常なものだ(例の隣国を除く)。そしてこういった考えが不必要な大学の増加に伴うアカデミズムの質の低下に繋がり、大学進学率50%という異常な値、さらに企業は優秀な働き手に困る一方で、何故か"就職難"という異常事態に繋がるのだ。
その結果が昨今の日本の没落である、という事を信じて疑わない。

子供に中学受験をさせたがる親の中には進学実績しか見ず、校風や教育方針には目もくれずに志望校を決める、という人までいるらしい。
全く嘆かわしい事である。