物語の中の不幸

『例え小説でも、人間の不幸を書く時は、それを何故書く必要があるのか、本当に書かなければならないのか、よくよく考え抜かなくてはならない。』SAOシリーズで有名な九里史生/川原礫氏のあとがきに記されていた文である。当時読んだ時は、強く共感した。▼シリアス、特に鬱展開が好まれる風潮はジャンルを問わず、普遍的なものであるが、単に"物語が盛り上がるから""キャラの魅力が引き立つから"という理由だけで、物事の蓋然性を軽んじる事はあってはならないのだろう。物語を書く時に「本当にこのキャラクターは死ななければならないのか、他のストーリーは無いのか」という事を自然と考える様になるのは、やはり素晴らしい事である様に思う。意見は別れるのかもしれないが…。▼もう一つ、この文を思い出すきっかけになったツイートをメモ代わりに載せておく。

『鬱展開で人が釣れるんじゃないんだよ。鬱展開がただのグロや胸糞悪いだけで終わるなら最初からやらなくていい。どっしりとした根底のテーマが無い鬱展開はダメだ。テーマ故の悲しみや重苦しさが大事なんであって、鬱は重要じゃない。苦味や辛味は上手く料理すればいい。』
@kuroida_00さん

これも又、酷く共感できる内容だ。