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数日前に載せた英文(http://d.hatena.ne.jp/Lamy_trp/20130122/1358865138)の自分なりの和訳を載せます。




『我々の太古の先祖は人間と動物の間に明確な差異の概念を持っていなかった。彼らにとって生命とは全てが魂魄によって生気を与えられている物であり、その魂魄の単なる囲いでしかない肉体の差異など殆ど意味をなさなかったのだ。

古代の人間は、彼らの種族は獣や鳥の末裔であるという事に決して疑いは持たないし、クマやヘビと結婚する女性がお伽話に登場しても何の違和感も感じないのだ。

しかし彼らの智慧が進歩するにつれ、これらの動物の夫達は、最終的には真の人間としての姿を取り戻す呪いをかけられた男へと変化していくことになる。これは近代の観念にお伽話を適合させるためのある種の修正であると言える(つまり次第に"人の様な動物"の存在に違和を感じ始める)。

"下等な動物"という概念は、この世界に住む人間とそれ以外の間の絶対的な相違への緩やかな認識という物に基づく、現代の思考である。古代人は動物達を特別な能力を授けられた存在、若しくは彼ら自身による秩序に従って行動する存在と見倣した。すなわち、しばしば動物達は人間よりも劣っていない、むしろより高度な知性を持つ存在であるように見られていたのだ。

私たちの良く知るお伽話、特に主人公の助けとなる動物達――喋る鳥類や賢い爬虫類――が登場するお話は、彼らが人間と対等な立場を取り、また時に謎に包まれた神々の使者や従者であった時代の化石化された残滓に過ぎないのだ。

だからこそ今日、鳥や動物についての迷信の大半が、万物の大系の中での劣位性よりも、想像上の智慧、狡猾さ、そして"魔法の力"に基づかれているという事が理解されているのではないだろうか。』




T大1986年の問題でした。
流石に良い文章を使いますね。