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最近の高等教育ではレジュメ発表による生徒主体のプレゼンテーション式授業が流行っているようだが、この授業形態の意味を履き違えている教師が多いような気がしてならない。

教師がその発表範囲を完全に把握し、何も参照せずに講義ができるようなレベルに達していなくては生徒によるレジュメ授業なんて物は何の意味もなさない。

勿論生徒が間違えた事を言う度に訂正するのではない。生徒同士が議論しあって答えが導き出すのも重要ではある。

だが生徒の発表による授業を通して新たな事を教えるというのは非常に難しいのだ。教師は議論によって生まれた結論を最大限尊重しつつ、話の流れを正しい方向へと導いていき、最終的に文学なら文学の、古典なら古典の内容・教訓を限られた時間内で間違いの無い様に生徒に教えなければならない。

レジュメ発表授業は教師が講義しなくても良い楽な授業等では決してなく、講義よりも一層難易度の高い物なのだ。

生徒の発表を聞きながら一緒になって辞書や参考書を引くようなのは駄目教師の極みである。