付喪と九十九

『好古小録』上巻に
「陰陽雑記曰、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すといへり、これによりて世俗毎年立春に先立ちて、人家の具足をはらひいたして、路次に捨つること侍り、これを煤払といふ、これすなわち百年に一年たらぬ付喪神の災難にあわじとなり。」
とある(らしい)。

要約すると
「なんかの本によると、道具は百年経つとお化けになって人を誑かす、これを付喪神と言うらしい。だから毎年春になる前に色んないらなくなった道具を捨てる習慣がある(そして焼く)。これは付喪神に襲われないためらしい」だ。

煤払は広辞苑先生によると
【煤掃・煤払】
正月の神を迎えるために、屋内の煤埃を払い清める事。
とある。

正月の神って何の神様だよ!と盛大に突っ込みたい所であるが、少なくとも好古小録は煤払を広辞苑とは全く異なる目的であるとしている。
「払う」は「祓う」に通じる事を考えると、広辞苑よりも好事小録の方が正しい事を言っている気もする。

ここまでは余談であり、煤払い等正直どうでもいい。

付喪神の読みは「つくもがみ」である。間違っても「ふもしん」等と読んではいけない。
「つくも」と言うと普通は「九十九」の字を書くはずだ。

この言葉は『伊勢物語』(平安初期)で「九十九髪」(百から一を引いた髪、つまり「白髪」の意)を「つくもがみ」と読ませたのが始まりとされる。白髪は非常に長く生きた人間の髪の毛である。特に昔は寿命が短く、髪が完全に白くなるような人間は極稀であったと考えられる。

この結果"九十九"は非常に永い・古いといった意味を持つようになってくるのだ。

付喪神は平安以前に登場する程歴史のある妖怪では無いということを考えると、恐らく「付喪」は九十九が転化して生まれた語であろう。昔の人が「つくもがみ」と言って、その噂話が広まった時、他の地域で「付喪」という語が当てられたのだ。日本人お得意の同音異義語の掛詞である。

九は古くから余り縁起の良い言葉ではないし、そう言えば皿屋敷の話も九枚である。

他にも"九"という字が隠し持つ意味は色々ありそうだ。