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よく「学者はただ勉強するという事が好きな人間であり、その勉強に利益は決して求めない」という様な事を言う、特に若い人達が多くいるが、それは違うだろうと声を大にして言いたい。

研究職に就く人間達は、かの柳田國男先生に代表されるように、「教養」という言葉を嫌うものである。
教養とは所詮日常生活に無駄なものでしかない。学者は常に自分の研究が世の中に影響を与えると信じて研究しているし、そうであるべきなのだ。それは史学や民俗学という一見ただの「教養」でしかなさそうな学問でも同じ事だ。

教養なんてシロモノを重視したがるのは、見かけだけの成金だけである。